シングルパパ、Big Daddy、時々旅人

会社では部下や若手社員のBig Daddy、家では二人の子どもをワンオペで育てるシングルパパ。そして趣味は海外旅行。人生に福あり。

【つぶやき】PTSDが治った(と思う)

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昔から人前で話をするのが好きだった。だけど、それが恐怖以外のなにものでもなくなった。

 

嫁さんが居なくなって、急に周りが気になるようになった。住んでいる地区は比較的裕福な家庭が多い住宅街で、お父さんは名の知れた会社務め、お母さんは専業主婦、子どもたちは毎日習い事に忙しいのが当たり前。母子家庭も少なく、父子家庭は皆無。そんな中で若くにして母親が亡くなり、小学生の子ども二人を父親一人で育てていかなければいけなくなったのは“事件”だったし、かなりザワザワした。たくさんの方に励ましの言葉を掛けていただいたが、その時はそれが負担でしかなかった。そして、言われた訳でもないのに、何かを言われているようで、妄想で頭がいっぱいになった。

 

「乳癌は早期発見すれば治る癌なのに、検査に行ってなかったのか?」

「小さい子どもたちを残して亡くなった奥さんは浮かばれない」

「幼くしてお母さんを亡くして、子どもたちがかわいそう」

「お父さん一人で家事や育児はできてるのか?」

「旦那さんの実家に帰ったほうがいいのでは?」

「早く再婚したほうがいい」

 

もう誰も信じられなくなり、人間不信になった。特に不特定多数の人の前で話をする時に、その人たちが自分のことを色々と言っている声(妄想)が脳裏をぐるぐるして、話ができなくなった。

100名を超える人の前で話をする会社の朝礼は、本当に恐怖だった。部長という立場上避けて通ることが出来ず、話す内容を一言一句書き出して、前日に何十回も声を出してシミュレーションをして当日に臨むも、本番は体や足が震え、喉が締め付けられて声が出なくなった。以前はカンペなして10分のプレゼンもできたのに、カンペがあっても2〜3分が限界になった。

 

本当に辛かった。でも、少しづつその状況が改善され、前回の朝礼でやっと普通に発表ができた。ただ普通に話をすることができただけで、プラスアルファはないので60点くらいの出来だったけど、恐怖から解放され、この数年間のトラウマが終わった。

そう思うし、そう思いたい。

【つぶやき】5年振りの帰省

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この5年間、九州の実家には一度も帰っていない。それまでは嫁さんがきちんと計画して、九州の僕の実家と四国の嫁さんの実家に毎年帰省していた。

最後に帰省したのは嫁さんの体力があった時で、その後も嫁さんは僕の実家に行きたがった。僕の両親に孫である子どもたちの成長を見せたい、身近に祖父母がいない子どもたちに思いっきりおじいちゃん・おばあちゃんに甘えさせてあげたい、何より昔から自分の実家と距離を取っている僕にその関係性を修復して欲しい、嫁さんはそう願っていた。

 

だけど、嫁さんがいなくなってから僕は一度も実家に帰っていない。

電話で僕を心配する親に対して、「仕事も家事も育児も一人でちゃんとやってるから大丈夫」と答えていたが、全くそうではなかった。親に心配を掛けたくなかったのか、自尊心からなのか、そんな状況を知られるのが嫌だった。

精神が崩壊して、嫁さんを後追いすることしか考えられないことを悟られたくなかった。

実家の家族や親戚に嫁さんのことを聞かれるのが嫌だった。

 

でもやっと、来月に5年振りに実家に帰省することにした。子どもたちには留守番をしてもらって、1泊2日で自分一人で。

そのことを連絡したら、両親は本当に喜んだ。子どもたちを置いて一人で帰る理由については「話があるから」と伝えたが、何か重い病気になったとか、悪いことが起こったんじゃないか心配したみたいで、思い悩んだ末に翌日に連絡があった。「悪い報告も良い報告もないよ(笑)」と伝えたので安心したっぽいけど、心配させてゴメンなさい…。

 

やっと前を向いて自分の人生を生きることを決めたこと、本当に長い間心配を掛けてきたことを謝りたいこと、これからはちゃんと親孝行をしていくということ。これがその「話」。

結局、常に嫁さんが正しい(笑)。嫁さんに報告したいな。

 

【つぶやき】もう自分を責めるのをやめた

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この数年間、自分を責め続けてきた。

嫁さんの病気にもっと早く気付ければ完治できたんじゃないか、違う医療機関を選んでいればよかったんじゃないか、高額な治療をしておけばよかったんじゃないか、辛い治療中にちゃんとサポートできたのか、自分がしっかりしていればもっと生きられたんじゃないか、自分と結婚していなければ病気にならずにどこかで今も幸せに暮らしてるんじゃないか…。

答えはない。だから、何千回・何万回も自分を責めることで、嫁さんへの罪滅ぼしをしようとしたのかも。

嫁さんのところに行くことだけを考えてきた。子供たちを立派な大人にする義務を終えたら、嫁さんと天国で一緒になろうと思っていた。天国があるかどうかは分からないけど。

でも、もう自分を責めるのをやめた。俺は生きているし、これからも生きていかなければならない。

とにかく前を向いて。

【つぶやき】世界の中心で、愛をさけぶ

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精神が崩壊しそうだった....。絶対に見れないと思っていたドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』を全話見た。嫁さんのこととオーバーラップするし、結末が分かっているので、なかなか見進められなかった。

でも、何で見たんだろう?多分、辛い気持ちを抱えながらも新たな人生を始めようとする主人公と自分を重ねて、前に進もうとすることを肯定したかったのかも。多分、相手のお父さんが最後に主人公に言う『よく頑張った。もう十分だ。』という言葉を自分に言われた言葉として捉えたかったのかも。

嫁さんがいた頃の生活と何も変えたくなく、嫁さんの思い出にすがって生きてきた。でも、踏ん切りをつけて、前に進もうかと考え始めた。

もう今となっては誰が何と言おうと関係ないけど、たった一人、嫁さんがどう思うのかが気になる。この世にいないから、答えを聞くことはできないけど。

【つぶやき】また人を好きになることは許されるのか?

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最近立て続けに2つのドラマを観た。それが「おっさんずラブ」と「中学聖日記」。どっちもその時には知らなかった去年のドラマだけど、何かの巡りあわせで今頃になって観ることに。観始めたら止まらず、全話をぶっ通しで観て、何度も何度も繰り返している。

テーマはどちらも「純愛」で、根幹にあるメッセージは「老若男女、誰かを好きになることに正しいも間違ったもない」。"男同士"と"教師と生徒"で異なるが、どちらも一般的ではない世間から認められにくい恋愛。

あんなに好きだった嫁さんが永遠の旅に出て、心に巨大な穴が開き、自分の生き甲斐は「子供たちを一人前の大人に育てること」だと言い聞かせ、嫁さんのところに行きたい気持ちを抑えてきた。周りには何度も再婚を勧められたけど、嫁さんへの想いが強く、そういったことを言われることに嫌悪感を抱いてきた。あれから3年半、新しい恋愛をしようと思ったことはない。

ドラマを観て思ったこと。やっぱり"人を愛し、愛されたい"。嫁さんは今でも大好きだけど、その想いだけでこれからの半生を過ごしていける自信がないし、やっぱり寂しい。かと言って、また他の人を好きになることができるかも分からない。

誰か好きな人がいる訳ではないし、そんなことになったら嫁さんに申し訳ないという気持ちが大きいし、思春期&反抗期の子供たちに与える影響を考えると前に進めないのではないかと思うけど、自分の人生に「子供を育てる」こと以外の意味を持たせてもいいのではなかろうか。

死別経験者の恋愛や再婚は非常にハードルが高いと言われる。僕も心の傷が自分が思うより深く、PTSDに苛まれてきた。それでも自分の残りの人生のために一歩前に進んでいいのではないかと思い始めた。

こんな立場でまた人を好きになることは許されるのか?

 

【つぶやき】嫁さんが知らないことが増えていく

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新元号が「令和」に決まりましたね。嫁さんと出会い、結婚し、子どもたちを授かり、幸せに暮らし、嫁さんを見送った平成が終わります。

嫁さんが旅立ってからは、仕事と家事と子育てに追われていますが、まだまだ嫁さんの思い出にすがって生きているので、嫁さんが知らないことが増えるのが好きではありません。

令和が始まると、この人生に何か新しいことが起こるかもしれませんし、密かに期待している部分もあります。

【つぶやき】“綺麗な海を見たい”はイエローカード

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今年3月にモルディブに行くことを決めたのは、相当疲れてる時に現実逃避をしたかったから。

その後に海に行きたいと思わなかったけど、最近また綺麗な海を見たいと思う気持ちが強くなってる。

マズイ、イエローカードが出てる。